ホーム
「私の血液型はC型です。」普段の会話で血液型を聞かれると私はこう答えます。ここではその理由をお話しましょう。(2000年9月12日更新)
現在までに私の知る限り、血液型と性格の関連をきちんとした科学的な根拠を持って、説明したものはありません。逆に性格と血液型は関係ないという研究はいくつか発表されているようです。(参考リンク1-3)それでも、多くの人は血液型と性格は関係があると信じてしまっています。そのトリックはどうなっているのでしょうか。極端な例を書いてみましょう。たとえば、こんなことはありえませんが、仮にロマンティストと現実主義の人が半分ずついるとします。すると自分に当てはめると半分の人が信じてしまうわけです。で、信じた人はこの法則が正しいと主張するわけです。まあ、この程度であれば当てはまらない人も半分はいるのでそれほど信じられることはありません。
- 誕生日が奇数の人はロマンティストです。
- 誕生日が偶数の人は現実主義が強い人です。
しかし、一般的に一人の人間には、時と場合の違いに応じて、いろいろな性格が現れてきます。たとえば、ロマンティストと現実主義と言う反するような性格が一人の人の中に共存していて、それぞれの場面の中であらわれます。それをうまくつかうと、次のような性格判断を行うことができます。こうなると、かなりの人に当てはまってしまいませんか。駄目押しは追加の一言です。
- 誕生日が奇数の人はロマンティストです。一見そう見えないとしても実は心の中にはロマンティストとしての自分がいることに気がついているでしょう。
- 誕生日が偶数の人は現実主義が強い人です。どんなにロマンティックな場面においてもどこか心の片隅にそんな自分を冷静に見詰めているもう一人の自分がいます。
さあ、どうでしょう。誕生日性格判断は正しいでしょうか?
- 誕生日が奇数の人はロマンティストです。一見そう見えないとしても実は心の中にはロマンティストとしての自分がいることに気がついているでしょう。
- 誕生日が偶数の人は現実主義が強い人です。どんなにロマンティックな場面においてもどこか心の片隅にそんな自分を冷静に見詰めているもう一人の自分がいます。
- もちろん、当てはまらない人も中にはいるでしょうが、それは性格というものが多様な要因から成り立ち、誕生日だけで完全に決まるものではないからです。
ある実験では、血液型性格判断のある性格をまったく逆にして被験者に示し、それが正しいと思うかどうかを聞いてみました。するとほとんどの被験者が正しいと答えたのです。
非科学的なものはすべて悪いと言うつもりはありません。しかし、まるで科学的に証明されたかのように非科学的な言説が信じられているのは困ったものです。さらに、これを元に更なる問題を引き起こしていることに注意しなければなりません。
ここまで、性格と血液型は関係がないと主張してきましたが、ひょっとして最近は関係してきてしまっているのではないかと言う恐れを感じています。ここまで血液型性格判断が信じられ、主張されるとそれに強制的に適応させられている人がいるのではないかと思うのです。例えば、「あなたは誕生日が奇数だからロマンティストに違いない」と、周囲から言われつづければそのように信じてしまい、そうなってしまうのではないでしょうか。
かつて、テレビ番組で、恐ろしい光景を見ました。ある幼稚園では血液型でクラス分けをしているそうです。その幼稚園で、おやつのスイカの食べかすを比較していました。あるクラスでは赤い実の部分が多く残されていました。ところが、ひとつのクラスでは、すべての子供の食べかすが赤い部分が少しも残っていない皮だけになっていたのです。そこで、テレビでは性格と血液型には関連があると言ったコメントが出されたようです。しかし、それは逆でしょう。この血液型はこれこれな性格であるという先入観を元に、そのような指導や雰囲気作りが行われ、子供たちはその強制された性格を装っているのです。この装いが、やがて装いではない固有の性格になってしまうでしょう。性格で一人の例外もなくなんて、信じられますか?恐ろしい幼稚園です。自分の子供ならば、絶対に入れたくないですね。
しかし、同じことがこの幼稚園だけでなく日々の生活の中で行われているのです。本来一人一人が持つ多様な可能性と環境を元に、多様な性格が形作られるはずなのに、一方的な強制された性格が刷り込まれていきます。例えばマイナスのイメージがある性格を刷り込まれていくならば、なんと罪なことでしょうか。皆さんのたわいもない会話を第一歩として、多くの人が性格を強制されていくのです。最近は小学校低学年の子供たちの中にさえ、血液型を話題にし、性格を判断してしまう子供がいるのです。どうしたらいいでしょうか。
普通の血液型に関する話の中で、ある特定の血液型の人をおとしめる会話がよくあるようです。また、「ある業務には、あるひとつの血液型の人間しかつくことができない」という企業が、実際にあるそうです。そのうちに、血液型で入社を決める企業や、入学を決める学校が出てきかねません。これらのどこが問題なのでしょうか。それは、「血液型性格判断は人種差別と同じ構造を持つ人権侵害」だからです。本人の責任とまったく関係のない生まれながらの特質を元に、人を区別、差別しています。何気ない区別、差別の積み重ねが人権侵害を引き起こすのです。そんな大げさなと思うかもしれません。しかし、気楽な「血液型性格判断は正しい」とする意識が、現におこっている、これから起こりうる人権侵害を正当化してしまうのです。「Y型の人は鬱気味だからつきあいにくい」などと言うことは問題ないでしょうか?あるいは、「独創性があるのはZ型だから、企画はZ型の人に」「人当たりがいいのはW型だから、営業はW型の人だけで」というのは、正しいと思いますか。血液型性格判断の信奉者はこれらの判断を正当化してしまいます。そして、これらは「黒人は・・・・だから」、「アーリア人は・・・・」とか「ユダヤ人は・・・・」などとまったく同じ構造の人権侵害なのです。
人間関係の潤滑油としての血液型に関するたわいもない会話に、そこまで目くじら立てなくてもと思うかもしれません。しかし、その何気ない会話が血液型判断の虚構を支え、本来多様な可能性を持つ性格を枠にはめ、人権侵害を正当化させてしまうのです。特に、子供達に接する機会の多い方々には血液型性格判断に対する問題意識を持っていただきたいものです。ところで、私の血液型ですか? もちろんC型です。
- 血液型-性格関連説について(同志社大学 文学部 社会学科専任講師 柴内康文先生)
- 血液型性格判断資料集(岡山大学文学部心理学教室・長谷川芳典先生)
- 血液型性格判断をやめよう(北海道大学文学部 行動システム科学講座 社会心理学研究室・中西大輔さん)